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真田信之の“24時間365日”監視システム?

一、歴史は繰り返す、セキュリティ対策も繰り返す?

歴史とは、学校で学ぶだけでは、ただ「過去の事実を積み上げただけのもの」と感じるかもしれません。しかし、今も多くの人が歴史を学び続け、研究し新たな発見を繰り返しています。

それはなぜか? 「歴史は繰り返す」とよく言われるように、現在に至るまでターニングポイントとなった出来事が、形を変えて繰り返し発生しているように感じられることがしばしばあります。時が移り時代が変われど、類似する「原因」と「結果」が過去幾度となく繰り返されてきたのです。

「原因」となった過去の様々な事象の因果関係を探求することで、今と照らし合わせて未来を予測する。あるいは、同じ過ちを繰り返さないようにする。過去を参考によりよい判断をする――こんなことのために、人は歴史を学び続けているのではないかと私は考えています。

ところで、最近では景気が悪くなると「三国志」がよく読まれると言われてますし、戦争に勝つための兵法書である「孫子」や、戦争を数学的に取り扱った「ランチェスターの法則」などの歴史に関連する書物も数多く出版されています。これは、今現在の自身の人生や自身が携わっているビジネスに重ね合わせて、歴史の中から打開策や戦略案を学ぼうとしていることを示す顕著な例でしょう。

様々な局面において歴史から学べる事、ヒントは無尽蔵にあると考えます。このブログでは高度化された今の情報化社会において重要度が増す情報セキュリティ対策について、日本史の戦国時代から江戸時代、幕末、明治などを中心に、歴史上の事実を参考にして一緒に考えていければと思います。初回である今回は、戦国から江戸初期にかけた時期のセキュリティ対策はどうだったのか少し触れてみたいと思います。

二、“家宝警備”に真田信之のセキュリティ哲学を読む

今回の主役は、知る人ぞ知る名君「真田信之」。「幸村の方じゃないの?」「誰っ?」 という方もいるかと思いますが、2016年の大河ドラマ『真田丸』の主役、真田信繁(幸村)の兄であり、“表裏比興(ひょうりひきょう)の者”と豊臣秀吉に言わしめた真田昌幸を父に持つ、松代藩の祖 真田信之です。ちなみに、父正幸の表裏比興とは今でいう卑怯者ではなく老獪なという意味で使われていた言葉です。

本題に戻りますが、なぜ真田信之がセキュリティ対策を行っていたのかというと、徳川家康より拝領した「吉光の脇差(わきざし)」を家宝として収めた「吉光御腰物箪笥(よしみつおんこしものだんす)」を守るためでした。

えっ脇差のため?…確かに、家宝扱いとは言え脇差のためだけにセキュリティ対策を行うのは違和感がありますよね。実は、この箪笥には脇差以外に、関ヶ原の戦いで敗北した西軍の石田光成や父正幸、弟信繁の書状が収められていたからなんです。もし、これが発覚すれば謀反を疑われ、お家取り潰しになったかもしれない巨大なリスクでした。「信之」はもともと父の一字をとって「信幸」という名でしたが、お家存続のため信之と改めたほど、徳川に気を使った人物です。なのになぜ、リスクしかない書状を焼かずに保管していたかは今もって不明ですが、歴史浪漫を残してくれたことは間違いありません。そこで肝心の箪笥を守るためのどのようなセキュリティ対策をおこなったのでしょうか。

それはズバリ!!「箪笥を収めた部屋に藩士4名一組の寝ずの番を置いて、24時間365日警備する」…という方法でした。そしてこの対策は明治まで続けられることになります。マジかぁ!!!!!! 担当だったら絶対死んでしまうぅ…。隠したり埋めたり等、他に手段は様々あったと思いますが、情報の機密性、重要度から、目の届くところに保管して人を置いて守るほうが確実であると判断されたようです。この話のポイントは、「本当に守らなければいけない情報とは何かが明確であったこと」です。他の情報がばれても、お取り潰しのリスクは少ない。だからこれだけは死守するという目的がはっきりしていた。明確な目的の設定によって防御範囲を限定し、寝ずの番の人員も実は最低限で抑えることが出来たとも言えると思います。

情報が溢れる現代においても、この考え方は同じです。情報セキュリティ対策は絶対に必要なことですが、やみくもに対策すればよいというものでもありません。どのような情報を守る必要があって、どこに漏洩リスクがあるのか、どこを守れば効率がよいのかを考えて適切な対策を講じていくことが重要であると改めて教えていただきました。



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